映画について

ミューズの里は、「いのち」「異文化間の相互理解」etc.をテーマに、国籍・世代・ジャンルを超え、映画・音楽・出版等を通して人々の心が豊かになる媒体を創造し、国際社会の平和づくりに貢献する事業を目指しています。日本全国上映の続く映画『アオギリにたくして』『かけはし』に続く弊社の第三作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』製作に向けて、皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

核なき世界を願う 被爆者の祈りを胸に、
次世代に語り継ぐ ヒロシマ・ナガサキ。
過去と未来をつなぐ 今を生きる私たちに
出来ることは何だろう…。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』

広島平和記念公園の被爆アオギリ。
この木の下で、被爆体験を語り続けた一人の女性がいた。

沼田鈴子さん、享年87歳。

結婚式を3日後に控えた1945年8月6日、
キノコ雲の下にいた沼田鈴子さんは、
麻酔薬もないままノコギリで足を切断し、
その後、婚約者の戦死を知らされた。

「原爆が憎い」「早く死にたい」と、
自殺することばかり考える日々だった。

そんな沼田さんに、生きる力を与えたのは、
勤めてい先の庭で共に被爆した
一本のアオギリの木だった。

原爆による熱戦と爆風で幹の真ん中がえぐれ、
爆心地の幹の半分は焼け焦げていた。
ところが、焼けていない方の小枝から、新芽が…

「どんなことがあっても、生きるんだよ」
アオギリが沼田さんに、そう語りかけていた。

1973年、この木は広島平和記念公園に植樹され、
アオギリの下で、沼田さんは被爆体験を伝え続けた…。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、1000回ライブ目指して2008年よりスタートした歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える日本全国ライブ活動の中で、「いのちの大切さ」「平和の尊さ」への思いをアオギリにたくして、広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った2世・3世の苗を植樹をする人々の姿に感動し、カメラを回し始めたことからスタートしました。

アオギリの語り部として知られ、被爆アオギリの木の下で修学旅行生に体験を語り続けていた被爆者の沼田鈴子さんと広島ライブで再会したのは2019年のことでした。

翌年2010年秋、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で初の海外ライブが行われ、被爆アオギリ2世の植樹が行われました。

被爆アオギリと沼田鈴子さんのドキュメンタリー映画を製作することになり、撮影をスタートとした直後の2011年7月12日、沼田さんが亡くなりました。 東日本大震災から4ヶ月後のことでした。「生きて伝えなければ…」と車椅子の上で、体が弱って力の入らない握りこぶしを膝に立てて言った沼田さんの言葉は今も忘れられません。

その後、企画をドキュメンタリーから劇映画に変更し、沼田さんの前半生を描いた劇映画『アオギリにたくして』が2013年夏に完成しました。第1回JASRAC音楽文化賞を受賞し、2016年にはアメリカでも上映され、今も日本全国・海外上映をロングランで続けています。

 

沼田鈴子さんと初めて出会ったのは1986年のことでした。沼田さんが出演した原爆映画『にんげんをかえせ』(アメリカン・フィルムフェスティバル1984年度ブルーリボン賞受賞作品)等をアメリカの学校や教会で上映する日米協力草の根ボランティア活動に参加し、アラスカ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨーク等で約1年間280回のプレゼンテーションを行いました。渡米前、『にんげんをかえせ』に出演している被爆者の方々と出会う機会をいただき、その一人が沼田鈴子さんでした。

 

ミューズの里の第3作目となる『いのちの音色』は、沼田さんが亡くなる4か月前の映像メッセージに込められた思いと共に、10年間に渡り撮影・取材してきた映像により構成されています。アオギリにたくされた思いを伝え、平和の種を蒔きながらステキに生きる人々の姿を通して、過去と未来をつなぐ 今を生きる私たちに出来ることを模索しながら、次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキを描いていきます。

 

弊社の第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

監督・製作・プロデューサー :中村里美

 

◆撮影形態:ビデオデータ撮影 ◆公開形態:DLP Blue Ray公開
◆上映時間:約90分(予定) ◆完成予定:2020年11月(予定) ◆公開予定:2021年春(予定)
◆日本全国各地・海外上映を目指します!