毎日新聞(夕刊)「平和の種まき 米で反響」2016.07.29
JASRAC(日本音楽著作権協会)公式サイト
2022年「中村里美・伊藤茂利インタビュー」
第一回JASRAC音楽文化賞受賞
https://www.jasrac.or.jp/profile/culture_award/interview/aogirinitakushite_seisakuiinkai.html
毎日新聞「ひと」(2014.11.20)
「アオギリにたくして」で第1回JASRAC音楽文化賞
朝日新聞「ひと」:中村里美(2013.8.14)
毎日新聞「ヒロシマを奏で続ける ギタリスト伊藤茂利」
2022年8月29日 高尾具成記者
https://mainichi.jp/articles/20220829/ddf/012/070/006000c?fbclid=IwAR2i53uDQA7n3HFw7uvFOTWkIgMeMvZMi0bQYTZUu_L1Omk9_E3NQH6EW8k
西日本新聞(夕刊)2014.2.3
共同通信「人」中村里美(2014.8.18)
毎日新聞(川崎)2019年8月5日
NHK時論公論 「被爆体験を『アオギリにたくして』」
2014年08月07日 (木) 午前0:00~からの「NHK時論公論」にて放映された解説文です。
<西川龍一 解説委員>
広島に原爆が投下されてから69年が経ちました。実在の被爆体験の語り部をモデルにした映画「アオギリにたくして」が、今年、各地で自主上映を続けています。被爆者の高齢化が進み、体験を語ることができる方が減少を続ける中、こうした取り組みの重要性について考えます。
映画「アオギリにたくして」は、広島で被爆したアオギリの苗を全国に植樹する活動に興味を持ったライターの女性が、この活動にゆかりのある被爆者の女性の生涯を調べ始めるところから始まります。語り部として活動していた被爆者の女性の生前の日記を預かり、絶望の淵から平和の語り部として生きていく決意をした思いを知って、自身がそのことを伝えていく決意をするまでの物語です。
この語り部のモデルとなった、沼田鈴子さん。沼田さんは、22歳の時、爆心地から1.3キロのところにあった勤め先の広島逓信局で被爆して左足を失いました。当初は被爆者であることも語りませんでしたが、1980年代にアメリカに保管されていた被爆後の広島の様子を撮影したフィルムを市民の手で買い戻そうという「10フィート運動」で、自らの姿が映っていたことをきっかけに50代になって被爆体験を証言する活動に参加するようになりました。3年前、87歳で亡くなるまで、国内だけでなく、海外にも足を運んで命の尊さや核兵器廃絶を訴え続けました。
沼田さんは、平和公園を訪れる人たちに被爆証言を語り続けたのが、「被爆アオギリ」と呼ばれるアオギリの木の下だったことから、「アオギリの語り部」と呼ばれていました。もともと逓信局に植えられていてともに被爆して幹の半分が焼け焦げ、枯れていると思われたものの新芽を出してたくましく成長する被爆アオギリに勇気づけられて立ち直ったと言います。
なぜ今、この映画なのか。制作した中村里美さんは、およそ30年前、10フィート運動によって集められたフィルムから製作された映画をアメリカで上映する活動にボランティアとして参加したことから、沼田さんをはじめ、多くの被爆者と知り合いました。当時は元気だった被爆者が、10年ほど前から次々に亡くなっていくようになりました。「体験しない人にはわからない」「体験しない人には伝えられない」という被爆者もいたと言いますが、今こそ体験のない世代が伝えなければならない時代になったのだと製作を決めました。自らが聞き取り、掘り起こしてきた被爆者の実態を映画という形で表現することが、もっとも多くの人に伝わると考えたからです。
「アオギリにたくして」は、あえて当日の悲惨なシーンは再現しませんでした。被爆後の人生にスポットをあて、被爆して片足を失った女性がどんな体験をしてきたのかを描きます。 こんなシーンがあります。社会復帰を果たした女性は、職場の男性と結婚を約束します。しかし、同じ被爆者であるその男性の母親が、子孫への放射能の影響を心配して反対。結局2人は思いを遂げられず、元々なぜ自分だけがあの惨劇の中生き残ってしまったのかと苦悩していた男性は自殺してしまいます。当時は放射能が人体にどんな影響を及ぼすのか一般の人にはまったくわからなかったこともあり、被爆者が被爆者を差別するといったこと、ふとしたきっかけでせっかく残された命を絶つといったことが起きていたのです。 モデルとなった沼田さんは、亡くなる4か月前に起きた東日本大震災、とりわけ原発事故による放射能の影響を心配し続けていたと言います。今回の震災では一時、福島県の原発立地地域から避難した子どもたちが、転校先の学校で放射能が移ると言われたり、親が遊ばせないといった事態も起きました。自らが差別された経験があるだけに、こうした事態を予見していたのではないか。差別の構造は何ら変わらないと思います。 さて、中村さんが言うように、原爆投下から69年が経ち、被爆者がいなくなるということが現実になりつつあります。広島と長崎で被爆した被爆者は、厚生労働省の今年の調査でおよそ19万2700人と初めて20万人を下回りました。人数が減っていることに加えて、高齢化もさらに進み、被爆者の平均年齢は79.44歳となりました。被爆から70年を迎える来年には、80歳を超えることが確実と言われています。全国各地にある被爆者団体の中には、すでに活動ができなくなっているところや、解散するケースも相次いでいます。日本被団協に入るおよそ400の団体のうち、おととしから2年あまりの間に、解散した団体は36に上っているのです。すでに時間は残されていません。
「アオギリにたくして」は、去年の完成から学校や公民館などを含め、およそ200か所で自主上映を続け、今週は広島市の映画館でも上映されています。海外での上映も目指そうと、英語字幕版も作りました。そうした中で、映画の原作を読んだ大分県の会社に勤める中国人女性が、初めて被爆者のことを知り、「戦争でつらい思いをしたことに国籍は関係ないということを広く知って欲しい」と、中国語の字幕作りに協力したいと申し出ました。「被爆体験を語ることは平和への種まき」と言っていた沼田さんの意思が広がることにつながっています。 被爆者に残された時間が少ない中、中村さんたちのような映画に限らず、あらゆる手段で被爆者の思いを伝える手立てを考える必要があります。これまで行われてきたのは、被爆者の手記や、証言を映像で記録するといった方法です。ただ、そうした方法では、記録されている以外のことは想像するしかなく、証言の裏に隠された被爆者の真意はわかりません。 そこで広島市が行っているのが、被爆の体験を次の世代に語り継ぐ人材を育てる「被爆体験伝承者」を養成する事業です。計画では3年間をかけて被爆者の体験や平和への思いを直接継承することになっています。3年目を迎えた1期生の108人が最終的な語り部としての実習を行っています。伝承者にとって最も重要なことは、被爆者本人から何度も話を聞いて思いを丸ごと自分のものにすることです。伝承者から講話を受けた人たちが、その時被爆者がどんなことを感じていたのかなどと質問しても答えられるようにするためです。本当に語り部として被爆者の気持ちが伝わるかという意見もあります。しかし、こうした方法に頼らざるを得ないのが惨禍を伝え続けなければならない被爆地ヒロシマの現実です。単なる記録にとどまらない試みがますます重要になっています。
安倍総理大臣は、平和記念式典のあいさつの中で、「核兵器の惨禍を体験したわが国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがある」と述べました。 生前、沼田さんは、「二度と同じ苦しみを体験して欲しくないから話している。戦争に勝ち負けはない。」と話していたと言います。政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定するなど、平和に向けた取り組みのありようが改めて問われている中で、原爆投下が起きればどうなるのかを考え続けることの意義はますます重要になります。唯一の被爆国として、被爆者の意思の伝承は、待ったなしの状況であることを私たち1人1人がより真剣に認識することが求められます。(西川龍一 解説委員)
⏬画像をクリックすると大きくなります
毎日新聞「平和の種、まく 広島被爆語り部がモデル、淀川区で上映会 歌やトークも」2022.8.3
https://mainichi.jp/articles/20220803/ddl/k27/040/287000c
タウンニュース 「被爆アオギリに思い託し」2022年7月7日
https://www.townnews.co.jp/0304/2022/07/07/632170.html?fbclid=IwAR12PhWAItlU5Bip-5gwShteYaCtO29J6Qh6Vw0LyJgsO4N1BVNTVeZ04sc
【信濃毎日新聞】被爆アオギリ「3世」栽培へ(2019年11月5日)
被爆アオギリ2世
大空に平和を発信 大阪・映画館屋上に植樹 ➡︎ 「大河の一滴なれど、大河は一滴からしか始まらない。戦争のない平和な世の中もそうであると思う」 大阪・十三の映画館「シアターセブン」松田代表の言葉に感動。広島市より届いた被爆アオギリ2世を映画館ビル屋上に植樹!
島根日日新聞「映画上映で平和の種まきを」
島根日日新聞「被爆アオギリに学ぶ」
毎日新聞(全国版)一面掲載記事「被爆者の思い継ぐ 米国巡り 語るシンガー」
毎日新聞(全国版)ストーリー面一面記事(2016.12.11)
映画「アオギリにたくして」米で上映!加害と被害立場越え 原爆の痛み向き合う
◎毎日新聞デジタル「米国巡り、語るシンガー(その1)被爆者の思い、継ぐ」
◎毎日新聞デジタル「米国巡り、語るシンガー(その2止) 加害と被害、立場超え」
毎日新聞「ひと」(2014.11.20)「アオギリにたくして」で第1回JASRAC音楽文化賞
産経新(2014.11.28)第一回JASRAC音楽文化賞受賞
スポーツ報知:第一回JASRAC音楽文化賞受賞:「アオギリにたくして」制作委員会
大分合同新聞
「アオギリ会」衣笠邦彦さん・松岡照美さんによる国東半島で初の「アオギリにたくして」上映会!
山形新聞(2015.6.6):山形西高生 公開初日に主題歌「アオギリにたくして」を合唱!
毎日新聞(2015.6.29):父親役を演じた風見しんごさんインタビュー記事
戦後70年、広島県12映画館連携7作品上映の中に「アオギリにたくして」が選ばれました!
東日新聞(2015.10.30)愛知県新城市で「アオギリにたくして」上映!
女性誌「ウィメンズ・ステージ」NO.40:中村里美インタビュー記事
京都新聞「アオギリにたくして」掲載記事(2014.1.23)
毎日新聞【京都版】アオギリにたくして掲載記事(2014.2.21)
毎日新聞(徳島版)2014年3月28日「アオギリにたくして」掲載記事
毎日新聞 「八王子市原爆被害者の会」の事務局長の上田さんが「アオギリにたくして」の上映を呼びかけ企画!
徳島新聞2014.4.17 「広島市の被爆アオギリの苗木を植樹」
朝日新聞(香川版)2014.5.25 原爆語り継ぐ=平和の種蒔き
毎日新聞(香川版)(2014.5.27)「アオギリにたくして」上映希望者募集!
毎日新聞(静岡版)2014.6.14 「平和の種蒔き 若い人に」
被爆者の声をうけつぐ映画祭2014
7月3日〜6日まで明治大学にて開催され、最終日6日のラストに映画「アオギリにたくして」上映
11月2日より広島「シネツイン本通り」で上映される映画『アオギリにたくして』。「シネツイン本通り」の劇場運営会社『序破急』様の最新ニュースで、八丁座映画図書館で行われた合同記者会見の様子が紹介されました。「まずは映画を見て欲しい。思わず応援したくなる、そんな映画です。映画を見終わったあとには必ずまっすぐな感動がある。そんな作品と同じ熱意をやはり作り手の人たちはお持ちなのでした。感動的な記者会見でした。 11/2(土)~11/8(金)朝10:15 (一回上映) シネツイン本通りにて一週間限定上映!」連日プロデューサー(中村里美・伊藤茂利)による舞台挨拶有
関西の映画・映像情報ウェブマガジン
「キネプレ」Cinema Press
「未来へ紡ぐ、被爆者の生き様 大阪で『アオギリにたくして』上映へ 」
⇒ http://www.cinepre.biz/archives/14137
毎日新聞 2014.7.5「アオギリに託した『平和』」
毎日新聞 プロデューサー:中村里美インタビュー掲載記事(2013.4.24)
【中国新聞】父親役を演じた風見しんごさん「平和の尊さ考えて」(2013/9/25)
広島での劇場公開に先駆けて昨年(2013年)11月24日、父親役を演じた俳優の風見しんごさんと共に市役所で記者会見を行いました。
朝日新聞【広島版】「アオギリにたくして」広島市内から本格劇場公開(2013.11.6)
【中国新聞】若い世代に平和の種を(2013/11/2)
▲2013年11月、広島の映画館「シネツイン本通り」での「アオギリにたくして」上映に先立ち、八丁座映画図書館で行われた記者会見の様子が中国新聞に掲載されました。
※広島で初となる「アオギリにたくして」映画館上映が、2013年11月に「シネツイン本通り」で行われ、12月には、「シネツイン新天地」「シネマ尾道」でも上映されました。2014年夏には「八丁座」にて上映。2015年にはサロンシネマにて上映されました〜!
共同通信「人」
週刊アキタ 中村里美・伊藤茂利インタビュー記事
赤旗2014.8.3 芸能・テレビ「絶望と希望 平和への思い」
政経往来 Movie「アオギリにたくして」平和の種がまかれるのを願い
提言 戦争の悲劇と命の尊さを語り継ぐ名画
「手探り、手作りの平和こそ」
全国障害者問題研究会出版部「みんなのねがい」
出演者:斉藤とも子さんインタビュー「すべての人が、その人らしく生きられる社会を」
斉藤とも子さんインタビュー
読売新聞 2014.8.10「アオギリにたくして」平和語った 被爆女性の半生上映
読売新聞(備後版2014.8.10)