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◎里美コメント◎ 被爆アオギリ2世や3世の種や苗にたくした平和への思いが、世界中にひろがっていきますように〜☆ |
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◎里美コメント◎ 佐々木祐滋さんと企画している月一ライブもこれで第5回目となりました!今回はゲストミュージシャンにオルゴール弾き語りの野川小麦さんをお迎えして開催されました!ギター奏者の伊藤茂利さんと一緒に毎月、ステキな仲間と出会えてとても幸せです! |
◎里美コメント◎ 70年代に岡山の演劇鑑賞運動で知り合われた皆さまが、10年ほど前に少しでも平和にかかわる活動をしていこうと立ち上げたという「りブル」(=さざ波という意味)。りプルの皆さまにお招きいただき、2010年9月12日(日)に、岡山県では初の中村里美ピースライブの公演90分をさせていただきました!リプルの皆さまは、これまでも毎年夏に、平和に関する催しを行ってこられたそうです。これまでにも、女優の日色ともゑさん、南風洋子さん、米倉斉加年さん、本橋成一さん、星野ゆかさん、斎藤貴男さん、佐々木梅治さん(「父と暮せば」読み語り)、北島角子さん(沖縄の集団自決を描いた一人芝居)、朴慶南さん、渡辺えり子さんといった方々を迎えて講演などを開催されてきたそうです。少し緊張しながらも、上手く歌ったり話したりすることより、本当に心から自分の思いを伝えていくためにも自然体で今回の舞台にのぞみました。ギター奏者として一緒に活動してくださっている伊藤茂利さんは、今回初めて被爆体験の朗読にチャレンジしましたが、終わった後の交流会では,リプルの皆さまから「声がいい!」「間がいい!!」とお褒めの言葉をいただき、本人もかなりやる気になっていますい(笑)イベントの後には、りプルのスタッフのお一人の小田さんにご案内いただき、岡山観光へ!後楽園、倉敷、瀬戸大橋に連れていっていただきました!岡山最高!忘れることのできない、そして次へのステップにつながるライブとなりました! |
◎里美コメント◎ 「いのちの音色」「トンボが消えた日」「LOVE&PEACE」「HUMAN TEACHER」「MOTHER」を歌わせていただきました〜♪ありがとうございました!! |
◎里美コメント◎ この夏から、「私のヒロシマ・ナガサキ」1000回ライブに向けてギタリストの伊藤茂利さんにご協力いただいています!伊藤茂利さんの作曲されたHUMAN TEACHERとMOTHERに詞を書かせていただき、新たにこの2曲も「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブで歌わせていただいています♪ |
◎里美コメント◎ 町田から被爆者の神戸美和子さんと「ひろしまの夏」実行委員会の皆さまが駆けつけてくださいました〜!被爆アオギリの種の平和の思いをこめてライブで広めてくださっているGATSUの皆さまに、被爆アオギリ2世の苗を贈呈させていただきました。戦後65年の夏、ステキなミュージシャンの皆さまと共に「アオギリにたくして」チャリティーライブを開催できたことを心より感謝しています! |
◎里美コメント◎ 佐々木祐滋さんとご一緒に企画している月一ライブ「音楽とステキな仲間たち」。この夏メジャーデビューされた佐々木祐滋さんの熱い夏と新たな「OMOIYARIプロジェクト」の発表がありました!私も「私のヒロシマ・ナガサキ」初のライブツアーを終えて、この夏のご報告をさせていただきながら、被爆体験の朗読と歌を心をこめて歌いました!栃木から清水さんがお友達をさそって駆けつけてくださり嬉しかったです!呑田さん榊原さんもお忙しい中駆けつけてくださいました!どうもありがとうございました!! |
◎里美コメント◎ 夏のライブツアーを終えホームベースのPAPERAでライブ! |
◎里美コメント◎ 戦後65年目の8月6日、907人の子どもたちが通う広島の井口小学校の全校生徒の皆さまと一緒に過ごすことができたことを心より感謝いたします。子どもたちからたくさんのエネルギーをいただきました。もっともっとがんばらなくちゃ!と新たに決意!この日は、ミューズの里の初の絵本「おりづるにのって」の発売日でもあり、井口小学校の皆さまにプレゼンできたことも嬉しかったです!最後に井口小学校の河毛先生もピアノ伴奏で参加してくださり、「おりづるにのって」を子どもたちと一緒に歌いました!演奏後に、子どもたちら歌のプレゼントがありました!カントリーロードを歌う全校生徒のみんなの姿に涙がでそうになりました。八谷校長先生、亀田先生はじめ皆さまに本当にお世話になり心より感謝です!ありがとうございました! |
◎里美コメント◎ 初のライブツアー!☆広島⇒甲府⇒東京とたくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました!この後また広島です! |
◎里美コメント◎ 甲府で初のピースライブ「私のヒロシマ・ナガサキ」公演をさせていただきました。へんり未来さんのご紹介で、今年からプロデュース&サポートメンバーとして加わってくださることになった伊藤茂利さんも駆けつけてくださり、3人での初の公演となりました。とても楽しかったです!甲府YWCAの皆さまご参加くださった皆様本当にありがとうございました。被爆アオギリの苗を贈呈させていただきました。ありがとうございました!☆ |
◎里美コメント◎ 7月30日は、被爆者の沼田鈴子さんのお誕生日でもありました。沼田さんも当日会場に来てくださり、ご一緒に舞台で、沼田鈴子さんに捧げる歌「アオギリにたくして」と「MOTHER」を歌わせていただきました〜♪ 沼田鈴子さんとの出会いは、今から25年前のことです。日米協力プロジェクト「ネバーアゲインキャンペーン」の民間大使第一期生としてアメリカの学校で原爆映画「にんげんをかえせ」の上映をして被爆者のメッセージを伝えるボランティアに参加することになった時のことで、当時、私はまだ、21歳でした。 「にんげんをかえせ」を観た時の衝撃、そして、その映像の中に登場されている沼田鈴子さんから、直接被爆体験を聞かせていただいた時の感動を今もしっかりと覚えています。いのちの大切さ、平和の尊さ、そして、 「戦争体験も被爆体験もない者に、一体何がつたえられるのだろう?」と不安でいっぱいだった私に、憎しみの連鎖を超えて、愛と平和の連鎖を生みだしていくことの大切さを教えて下さったのが沼田鈴子さんでした。そして誰もが自分にできる「平和つくり」をしていくことの大切さを教えてくださいました。 |
◎里美コメント◎ 広島を訪れた際、いつも被爆アオギリの種や苗を東京に届けてくださる山田忠文さんの事務所で歓迎会をしてくださいました!皆さまありがとうございました〜☆ |
◎里美コメント◎ 2101年夏のライブツアーで広島を訪れた際、ギタリストの伊藤茂利さんと、広島でいつもお世話になっている立花ご夫妻と一緒に被爆者の沼田鈴子さんに会いにいきました。沼田さんに捧げる曲「アオギリにたくして」と伊藤茂利さんの「MOTHER」を沼田さんに聞いていただきました。感動で、涙がこみ上げてふと横を見ると…ギタリストの伊藤茂利さんの目に涙が…。「私の心は桜島です」と何度も繰り返される沼田さん。はっきりとした口調で「桜島のように燃える心で100歳まで!」とおっしゃる沼田さんのお言葉に、「核廃絶を見届けるまで生き続けます」という沼田さんの強い平和への思いを感じました。忘れられない感動のライブでした! |
◎里美コメント◎ 伊藤茂利さんが作曲された「MOTHRE」に続き、「HUMAN TEACHER」の担当をさせていただきました。そう思ってつくったわけではないのに、2曲ともピースライブ「私のヒロシマ・ナガサキ」にぴったりの楽曲となりびっくりです。今日は初めてHUMAN TEACHERを歌いました! |
◎里美コメント◎ ミューズの里で毎月企画しているこのチャリティーライブに毎月ご出演くださっているGATSUの皆さまがライブをされた時に、被爆アオギリの種を世界に広めるための1円募金活動をしてくださいました!1.452円募金をいただきました!! 本当にありがとうございます!広島に送ります!被爆アオギリの種を世界に広める活動を通して、いのちの尊さや平和の大切さ伝えていけるように、これからもがんばっていきます!今回のホスト役は、広島出身のまこっちゃんです!! |
◎里美コメント◎ 一緒に企画している佐々木祐滋さんの事務所の方がインターネットTVで世界に向けて生中継で発信してくださいました!今回のゲストは、タイラトシキさん♪ タイラさんのつくり出す歌の世界に引き込まれ、ホントにステキでした!もうすぐメジャーデビューを目前に控えて佐々木祐滋さんの歌により一層磨きがかかって、感動でした!「INORI〜祈り〜」が世界に広がりますように!応援しています!! 私もがんばります!! |
◎里美コメント◎ 5月に行われたNPT会議の報告や今後の課題についての対談が行われました。二部の交流会で今年から「めざせ!私のヒロシマ・ナガサキ1000回ライブ」のサポートメンバーに加わってくださったギタリストの伊藤茂利さんと一緒に出演させていただきました。 |
◎里美コメント◎ 佐々木祐滋さんと一緒に企画している月一ライブです!今回は、佐々木祐滋さんのメジャーデビューお祝いライブとなりました!もちろん楽曲は「INORI〜祈り〜」。祐滋さんのおばさんにあたる、広島の原爆の子の像をつくるきっかけとなった佐々木禎子のことを歌った曲です!本当にステキな曲です♪ ゲストにVOXRAYの皆さまが駆けつけてくださいました! 私もギタリストの伊藤茂利さんと一緒に歌わせていただきました。伊藤茂利さんとのコラボは今回で2回目です!「真実は語りえない」「MOTHER」「Beautiful Night」「おりづるにのって」「アオギリにたくして」の5曲を歌わせていただきました。MOTHERは、伊藤茂利さんの曲で、作詞を担当させていただきました。地球に母性が欠けている…と感じる今、大切に歌い続けていきたい一曲となりました!この曲との出会いに感謝です! |
◎里美コメント◎ 月一回主催しているチャリティーライブ「アオギリにたくして」も3回目となりました!へんり未来さんにホスト役をしていただき、平和への思いを大切にしている表現者の皆さまと一緒に表現空間をつくっています!被爆アオギリの種を世界に届けていくチャリティーライブです!是非皆さまご参加ください! |
◎里美コメント◎ へんり未来さんのメディカル流しからスタート!へんりさんの奥様の今日明日香さんとへんりさんのユニットや、杉笑太郎さん、OMIさんがゲストでご参加されました!NHKの取材も入り、へんり未来さんのメディカル流しの様子がNHKの「おはよう!日本」で5日に放映予定です! へんりさんにギター演奏していただき、「トンボが消えた日」「アオギリにたくして」を演奏させていただきました! |
◎里美コメント◎ へんり未来さんにご紹介いただき、ギタリストの伊藤茂利さんとの初のライブでした。伊藤さんのギターの音色とリズム♪素晴らしかったです!「アオギリにたくして」「いのちの音色」「忘れないよいつまでも」「ムーンライト」「大切に思うこと」の5曲を歌わせていただきました♪最後の曲「大切に思うこと」では、ギタリストで俳優のコータさんが飛び入り参加して、ギターソロを奏でてくださいました!素晴らしい音色でした♪ |
◎里美コメント◎ 五月晴れとなった今年のメーデー!第50回目を迎える越谷地区メーデーのオープニングアウトで、「アオギリにたくして」「忘れないよ いつまでも」「大切に思うこと」の3曲を歌わせていただきました。今回は、初めてギターの高尾晃一さんと一緒に出演させていただきました。 |
◎里美コメント◎ 毎月一回このチャリティーライブ「アオギリにたくして」を開催することになりました!募金は、広島のアオギリ里子運動事務所へお届けし、被爆アオギリの種や苗を世界に広げ、平和の大切さといのちの尊さを伝えていく活動に寄付されます! |
◎里美コメント◎ 昨年、佐々木祐滋さんとお会いして、「一緒に何かやろう〜!」と意気投合! なかなかお互いに忙しくて実現しないまま今日まで来てしまいましたが、この4月から、まず第一弾として、MUSE NIGHT〜音楽とステキな仲間たち〜を月一回ご一緒に開催させていただくことになりました。佐々木祐滋さんと私、そして、ステキな仲間たちと一緒に月一回ライブをしていきます☆ 佐々木祐滋さんは、広島平和記念公園にある原爆の子の像をつくるきっかけとなった佐々木禎子さんの甥で、被爆二世ロックバンドのボーカルとして活動中されていた時に、ある一人の被爆経験者の方から「あなたには禎子の物語を語り継ぐ責任がある」と告げられたことがきっかけとなり、2000年ロックバンド「GOD BREATH」を結成されました。その後、佐々木禎子さんをモチーフにした楽曲を作り、世界各地で高い評価を得て、全国の小中学校や各地の平和イベントに参加されています。2009年現在、ライブを行った学校数はのべ300校を超えるそうです!2009年からはソロ活動をスタートさせ、禎子さんの思いを綴った曲『INORI』をリリース。祐滋さんは、「今この時代にこそ、禎子のことを風化させたくない。平和を願う気持ちを叔母の折り鶴に託して歌いたい」と『INORI』という曲を作ったそうです。そしてこの曲が話題を呼び、「命の尊さ」というメッセージをこめた歌を丁寧に歌いあげてきた歌手のクミコさんもこの曲を歌われています。 昨年、佐々木祐滋さんの存在を知って、私はとっても励まされました☆ 丁度私も、これまで出会った被爆者の方々のメッセージを何とか伝えていきたいという思いから、歌と語りで伝える「私のヒロシマ・ナガサキ」1000回公演を目指してスタートし、広島ライブで佐々木禎子さんの母校の幟町小学校のライブをした後だったので、佐々木祐滋さんとの出会いにびっくり!本当に嬉しく感動でした!!何よりも、佐々木祐滋さんの、気取らない本当に気持ちのいいお人柄が素晴らしいなぁ〜っと!いつも感じています。周り中、子供もおじいちゃんも、おばあちゃんも、み〜んなお友達にしてしまう!そんなオーラを、佐々木祐滋さんは持っています。年齢は私より若くても音楽においても、広島・長崎にかかわるライブ活動において私より大先輩!!本当に学ぶことが多く、この出会いに心から感謝しています。 ●MUSE NIGHT〜音楽とステキな仲間たち〜http://muselive.seesaa.net/ |
◎里美コメント◎ ●第一部では、明治学院大学国際学部の高原孝生教授が「どこがすごいのか?!平和市長会議がNPT再検討会議にむけて提案している『ヒロシマ・ナガサキ議定書』」と題してお話をしてくださいました。第二部のパネルディスカッションでは、「核兵器のない世界」の実現に向けて、大久保賢一 氏(日本反核法律家協会事務局長)、伊藤直子さん(日本原水爆被害者団体協議会元事務局)、山田玲子さん( 豊島区被爆者の会会長)、高原孝生教授(明治学院大学国際学部教授)にご出演いただき、パネルディスカッションが行われました。第三部の交流会で、へんり未来さんと一緒にライブをさせていただきました〜♪とても勉強になる会でした。ありがとうございました! |
◎里美コメント◎ 黒田征太郎氏の「ヒロシマ・ナガサキ議定書」絵本の朗読に参加させていただき、イベント終了後のレセプションで、歌と語りで伝える「私のヒロシマ・ナガサキ」の中から「トンボが消えた日」「ネバーアゲイン」「アオギリにたくして」を歌わせていただきました。 高原孝生教授の「核兵器廃絶の運動は、世界にどのように影響してきたか」、スティーブン・リーパー氏の「ヒロシマ・ナガサキ議定書の意義とアメリカ市民に被爆の実相を広める取り組み」など、とても刺激になるお話をお聞きして、とても刺激を受けました。新たに、歌と語りで伝える「私のヒロシマ・ナガサキ」1000回ライブに向けての意欲がわき、気合いが入りました!本当にありがとうございました! |
◎里美コメント◎ 第11回目となる「私のヒロシマ・ナガサキ」を三宿中学校夜間学級で公演させていただきました♪ 生徒さんの90%は17カ国の学生で、今も戦争の続く国からやって来た学生さんもいるそうです。祖国で両親を目の前で殺されたという経験を持つ生徒もいるのだと、ライブの後に先生から教えていただきました。 「もったいないぐらい、生徒たちから日々学ばせていただいています」と心からおっしゃる、先生のお言葉に胸が熱くなりました。客席に座る生徒さんたち一人一人に、大きな生命力と存在感を感じながら、ステージで歌っている自分自身が問われているような気持ちになりました。私なりの精一杯で日々やってはいるつもりでいたけれど…、でも…、目の前の生徒たちに何かを伝えられるほど私自身は今本当に真剣に生きてるのかな…? 人生を愛していきているのかな? 今この瞬間を大切に、感謝と喜びを感じて生きているのかな?今一度、己を振り返り、自分自身の生き様、存在について考えさせられるよい機会となりました。 |
◎里美コメント◎ 第10回目となる「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブをカトリック清瀬教会で行わせていただきました♪ 昨年、カトリック藤沢教会で公演させていただいた際に一番前で車いすに座って聞いて下さっていた詩人の火星雅範様からのリクエストコンサートとして今回のライブが実現しました♪ こうしたご縁で、和が広がっていくことが何よりも嬉しく、心より皆様に感謝の気持ちでいっぱいです♪ 清瀬教会の小川滋子さんが、すてきなチラシを作ってくださり、今日のライブに至るまでに、大変お世話になりました!清瀬教会の皆さまの、あたたかいお心に包まれながら、今日のライブをさせていただくことができたことに、心より感謝しています♪このライブをスタートするきっかけを作ってくださった大川須美さんもお友達とかけつけてくださいました!友人の増田雄吾さんも車いすで駆けつけてくださいました♪嬉しかったです!!自分にとっても記念すべき第10回目のライブとなりました〜♪ 本当に皆様ありがとうございました〜☆ |
◎里美コメント◎ 肥田先生は、被爆者中央相談所理事長など長年の要職を終えられ、今なお日本全国を公演して回っておられます。原爆症認定集団訴訟では、肥田先生が長年主張されてこられた放射線による内部被爆に陽の目を当て、認定基準の改善が実現されました。医師であり、被爆者でもある肥田先生と初めてお会いしたのは、今から20年以上前、アメリカの家庭にホームステイしながら学校や教会で原爆映画を上映して被爆者のメッセージを伝えるネバーアゲインキャンペーンの第一期生となった時でした。主宰の北浦陽子さんに連れられて、東京での勉強会の際にお話を伺わせていただきました。今年で93歳になられるという肥田先生ですが、変わらずにお元気で、今もなおご活躍されているお姿に心打たれ、私ももっともっとがんばろう!と強く思いました。銀座でお店にはいったことのない田舎者の私は、緊張しながら…ではありましたが、「アオギリにたくして」を歌わせていただきました。ありがとうございました♪参加された皆様のお話がとても参考になり、様々な人々の強い思いが力となり大きな支えとなって、被爆者運動が形となっていることを改めて強く感じました。肥田先生がいつまでもお元気にご活躍されることを心より祈っています。お声かけていただいた、被団協の伊藤直子様、大久保賢一弁護士に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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◎里美コメント◎ 子供たちによる「一本の鉛筆」という詩の朗読のあと、「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブをさせていただきました。 八角形のすてきな教会で、中に一歩足を踏み入れると、とても気持ちが落ち着きました。ライブの後には、グループに分かれて意見を交わし、思いを分かち合う時間となりました。 平和への強い思いを持っておられる皆様の思いを聞きながら、原爆映画を持ってアメリカを回っていた時のことが思い起こされました。 30件近くのホームステイをさせていただきましたが、その多くが教会の牧師様や神父様のご自宅でした。そして、まだまだ勉強不足で自信のない私をいつもあたたかく迎えてくださいました。 「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブは今回で7回目になりますが、初めての教会でのライブでした。あれから24年がたちました。歌と語りによる新しい形での行脚をスタートさせていただき、これから1000回をめざしていくにあたって、とても気持ちの引き締まる思いでした。 |
◎里美コメント◎ 「ひろしまの夏 命輝け!」実行委員会の皆さまの、大きな包容力と愛情、人生を生きてこられた方々の持つたくさんの知恵、そこから大切なことをいっぱい学ばせていただきました。初めて被爆者の方にお会いしたのは、今から24年前のことでした。 自分の町、町田市にも380人の被爆者の方々がおられることを知り、そして家から歩いて20分程のところに広島の被爆者の方が住んでおられることを知るりました。そして、それまで、歴史の教科書に出てくる過去の出来事であった広島・長崎が少しづつ身近なものとして感じられるようになっていきました。今現在、町田の被爆者の方々は280名となりました。全国に、23万5千人以上の被爆者の方がおられますが、平均年齢は、76才となっています。 もし、あの時、被爆者の方々に出会うことがなければ、私にとって広島・長崎は、歴史の教科書に出てくる過去の出来事でしかありませんでした。被爆体験や戦争体験をもっておられる方々が高齢化していく中で、戦後生まれの私たちが、さらに若い世代に何を伝えていけるのか…。昨日の公演の時、20年以上ぶりに、町田の被爆者の会を支えてこられた元教師の志村妙子さんに再会しました。本当に嬉しかったです。仕事に追われ、自分の生まれ育った町に目を向ける機会がなく時がながれてしまいましたが、昨年から町田に戻り、改めて自分の人生の原点となる24年前の頃を思い返し、あふれる感謝の思いと共に、微力ではあっても自分に出来ることをしていこうと強く思いました。 |
◎里美コメント◎ イベントの一部では、北岡和義さんがロサンジェルスのテレビ制作会社を経営されていた時に、アラスカまで来て撮影してくださったドキュメンタリーを20年ぶりに見てびっくりでした〜。 かなり動揺して、二部のライブでは最初どうなる事かと思いましたが(笑)、会場の皆様のあたたかさに支えられながら、「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブの5回目を無事終えることができました。 三部のパネルディスカッションでは、39年に渡り被団協を支え被爆者の方々と共に歩まれてきた伊藤直子さんにご登場いただき、その後豊島区の被爆者の会会長の山田玲子さんと大久保賢一弁護士とNACの野上由美子さんにご登場いただき、パネルディスカッションが行われました。 居心地のよい目黒VERGEの雰囲気に包まれて、アットホームな会となりました。本当にありがとうございました! たくさんの皆様に支えられ、一歩一歩前進させていただいていることに感謝する日々です。 |
◎里美コメント◎ 21歳の時、アメリカに被爆者のメッセージを伝えにいく事になった際に、英語もできず知識もなく、とっても不安だった私は、渡米前に広島を訪れました。 ワールドフレンドシップセンターの当時の館長さんだったオーランドさんとバイオレットさんご夫妻の家にホームステイさせていだきながら、被爆者の方々のお話を聞かせていただきに原爆養護ホームに通いました。その当時にお世話になっていた方々と今回再会できて本当にうれしかったです。懐かしい皆さんとの出会いに、いつも以上に緊張してしまいましたが、最後はへんり未来さんの流しで、みなさんと一緒に歌って楽しいひと時となりました。本当に皆様に感謝しています。ありがとうございました。 !! |
◎里美コメント◎ 海の向こうに宮島が一望できる素敵な癒しの場所にある廿日市市高齢者ケアセンターで、へんり未来さんのメディカル流しが行われ、一緒に参加させていただきました。ケアセンターでの初ライブでした。音楽っていいなぁ〜って改めてしみじみ思いました。 私も「トンボが消えた日」と「おりづるにのって」を歌わせていただきました。広島でまた皆様とお会いできる日を楽しみにしています〜☆本当にありがとうございました。 |
◎里美コメント◎ 幟町小学校は、「原爆の子の像」ができるきっかけとなった佐々木禎子さんの通われていた小学校です。そこで行われる折り鶴集会に招かれて、「私のヒロシマ・ナガサキ」ライブをさせていただきました。 学校の前につくと、校長先生自ら校門に立って、登校してくる子供たち一人一人と朝の挨拶を交わされていました。校長先生の手に自 分の手をパチンと合わせて、元気いっぱいに「おはようございます!」と挨拶する子供たち。自分の小学校時代を思い出しながら、私も元気よく校長先生にごあいさつして学校の中に入りました。 子供たちの元気いっぱいのエネルギーがみなぎっている体育館で、403名の子供たちと出会う機会を与えていただき大感激でした。 最後には、みんなで一緒に三拍子に合わせて、佐々木禎子さんのお話を歌にした「おりづるにのって」を歌いました。1年生から3年生まで403名の大きな声が体育館いっぱいに広がって本当に感動的でした。みんな歌詞を3番まで全部覚えてくれていて、何も見ずに大きな声で元気いっぱい歌ってくれました。 生徒を代表してライブへの感想を言ってくださった6年生の女の子の言葉が胸にしみました。 「私にとって平和とは、ひろりぼっちを作らないこと。歌うことで、禎子さんや平和の大切さがとても身近にかんじられました」それを聞いて、涙が出そうになりました。 |
◎里美コメント◎ 2009年夏より、歌と語りでつづる「私のヒロシマ・ナガサキ」の全国ツアーをスタートしました。昨年8月6日に新宿御苑パペラにて開催された「私のヒロシマ・ナガサキ」を見に来てくださった横浜市泉区にお住まいの大川須美さんが企画してくださり、近所の方85名の皆様にご参加いただき第一歩を踏み出すことができました。大川須美さんは、20年以上も前に、私がネバーアゲインキャンペーンの第一期生として被爆者のメッセージを伝えに渡米することが決まった時から、これまでずっと応援してくださり、いつも愛と勇気をたくさんいただいています。本当にありがとうございました。一回一回のライブを大切に、思いを込めて、1000回ライブに向けて、がんばります!! |
私が、アメリカでホームステイしながら、学校の歴史の授業の中でヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝えていく日米協力プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第一期民間大使としてアメリカに行ったのが、戦後40年目の夏のことでした。一年間の研修の後、渡米しました。 帰国後、世界から日本やって来た外国人と一緒に、それぞれの国の家族の戦争体験と共に、広島・長崎の被爆者の体験とメッセージを伝える日本語朗読劇「トンボが消えた日」の初公演をしたのが、戦後50年目の夏。「トンボが消えた日」は、自主公演を続け学校や施設などでの公演活動を続けてきました。 そして、今年、ミュージシャンのへんり未来さんにプロデュースしていただき、歌と朗読とトークで構成された「私のヒロシマ・ナガサキ」公演を行いました。 そもそもは、「トンボが消えて日」の日本人役をやる方向で、数年前より企画していたのですが、私自身の忙しさもあり、なかなか実現しないままでした。 そんな時、私の本を読んでくださったザ・ニュースペーパーの元プロデューサーの杉笑太郎さんが、処女作「アメリカにだって伝えちゃえ」を読んでくださり、「この本をそのまま形にすればいい!」とアドバイスしてくださったのが今回のきっかけとなりました。 また、ミュージシャンのへんり未来さんから、「何でこれだけ歌を作っているのに、ヒロシマ・ナガサキの歌がないの?」 と聞かれ、自問自答していきました。 アメリカでヒロシマ・ナガサキを伝え歩いていた頃、パールハーバーや日本のアジアへの加害性を指摘され、原爆投下を正当化する意見を聞かされる事がたびたびでした。「世界中の誰にも自分と同じ苦しみをさせたくはない」という被爆者のメッセージが素直に伝わらない。その現実の中で、どうやってヒロシマ・ナガサキを伝えていけばいいのか? それを自問自答する日々でした。 お互いに相手を指差してののしり合い、どちらが正しくてどちらが間違っているということを議論することにも虚しさを覚えていました。そもそも、愛や平和や正義の名の元に戦争へと駆り立てられていく事を考えると、人々が言うその愛を、その平和を、その正義感というものを一度疑ってみる必要があるのではないか??と思いながら… 被害者・加害者という立場を超えて、同じ地球上に生きる者の上に起きた悲劇として、ヒロシマ・ナガサキを、そしてすべての戦争の悲劇をとらえた時、はじめて被爆者のメッセージも率直に伝わっていくように感じていました。 ヒロシマ・ナガサキを通して、生きる事の素晴らしさに気づいていく子供たちの笑顔と瞳の輝きが救いとなり、明日への希望へとなり、何より一番嬉しかったように記憶しています。 へんり未来さんにも指摘されたように、これまで私の歌は「いのち」を歌ってはいても、ヒロシマ・ナガサキを歌っているものは全くありませんでした。 「いのち」を歌うことで、ヒロシマ・ナガサキの思いも伝えたいという思いはあっても…… アメリカでの体験によって、ヒロシマ・ナガサキをそのまま伝えようとするときっと伝わらない……というあきらめや恐れを、自分が持っていた事に改めて気づきました。 そして、今回もっと率直にもっと素直にそのままの自分の思いを、無意識の中の恐れを取り除いて、 歌に託してメッセージを伝えていきたいと思いました。これは、実は私にとて勇気のいる事でもありました。そして、なぜか無意識の中で自分が避けていることでもありました。 音楽の力を本当に信じているへんり未来さんや周りの方々のお力添えなしには出来なかったことと思います。> ライブ「私のヒロシマ・ナガサキ」の作品作りのプロセスを通して、歌そのものに自分自身の思いを込める事で、私自身が、そして歌そのものもこれまでとは違う新たな第一歩を踏み出す事になったように思います「トンボが消えた日」「折り鶴に乗って」「ネバーアゲイン」「大切に思う事」の四曲が新たに加わりました。 |