「ミューズの里」奨学生

ミューズの里では、国籍や世代・ジャンルを超えた表現の場づくりを通して、将来母国と日本の懸け橋となる志を持って留学した日本語学校生の奨学金の募金を呼びかけています。皆様からの募金は、特定非営利活動法人エルエスエイチアジア奨学会に寄付され、毎年芸術方面に進学を希望する日本語学校生に「ミューズの里奨学金」として渡されます。奨学金募金にご協力くださった皆様に心より感謝申し上げます。

 

2014年ミューズの里奨学生

●ジョン ソン ギョレさん(東京ギャラクシー日本語学校・韓国)

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2013年ミューズの里奨学生

●JIRANYAKUL PIANGPIM さん(東洋言語学院・タイ)

私は日本、特に日本語や日本の文化について興味がある。だから、私は日本の大学院で音楽療法を研究したいと思った。タイには音楽療法を専門にする機関がまだないからだ。それに日本の音楽療法に関する教育は世界でもトップレベルだと私は思っている。

私は音楽に関することで日本に2回来たことがある。日本で色々なことを見習ったり、経験も積んだので、私の視野がもっと広くなってきた。

今、日本に来て3ヵ月が経った。日本語の勉強以外は大学院の専門知識の勉強も一生懸命勉強している。私の日本語はまだ上手ではないが、意志の充満にすると、いつか日本の大学院に入れるだろうと思う。

タイには音楽療法という「専門」分野がないので、いつか私は卒業してから、日本で勉強したことと自分の経験でタイの音大で教えるというのが私の夢だ。いつも聞かれるのは「どうして教師になりたいか」という質問で、私の答えは国の将来「子供達」のために新しい知識と経験を伝えたいからだ。それに教師になりたいというきっかけは、いつもとてもいい先生に会ってきたからだ。いつも学生のことを大切にする先生達だ。

そのような先生達のおかげで、自分もそういう先生になりたいと思っている。そのために私は今一生懸命勉強している。

 

 

 

2011年度 「ミューズの里」奨学生

・金 秀眞(韓国・女性)/千駄ヶ谷日本語教育研究所付属日本語学校
・謝 長恩(台湾・男性)/YWCA東京日本語学校

▲授与式の後の交流会では、「ミューズの里」奨学生となったお二人に、李秀賢頌歌「忘れないよ いつまでも」の歌詞の朗読をしていただき、その後奨学生全員で歌いました。

10年前に新大久保の駅で、線路に落ちた日本人を救おうとして共に帰らぬ人となった韓国の留学生の李秀賢さんの頭文字をとって名付けられたNPO法人エルエスアジア奨学会の授与式は、今年で10年目を迎えました。これまでに奨学生総数は500名を超え、今年は54名の語学留学生に奨学金が授与されました。

「ミューズの里」奨学生

▲この日のために、韓国から故李秀賢さんのご両親も来日してくださいました。

ミューズの里では、これからも夢と希望を持って来日し、将来母国と日本のかけはしとなることを志して日本で学ぶ留学生を応援していきたいと思っています。皆様これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。2011年度「ミューズの里」奨学生として選ばれたお二人の作文を下記に紹介させていただきます。これからも皆で二人を応援していきましょう!!

●金 秀眞さん(千駄ヶ谷日本語研究所付属日本語学校・韓国)

韓国では、日本語は英語ほど人気がある言語ではない。そして、東日本大震災が起きた状況の中でも日本での留学生活をしようと決心した時、周囲の人達は皆、なぜ日本語を学びたいのか、日本語を学んで何をするつもりなのか、と私に聞いてきたが、聞かれるたびに私が話したことがある。

私の夢・目標は、東洋の美術史を勉強し、それを基にして最近ようやく見直され始めた韓国の文化財や文化の歴史を整理して韓国の文化、さらには東洋の文化を後世に伝えることに貢献することだ。

しかし、韓国は文化に対する関心が低いためか、まだ専門書や資料が少ない状況である。例えば。私が大学生の時、文化財修復を専攻していたが、その時使用した教科書や参考書は大部分が日本のだった。勉強をしていく中でより知りたい部分があり資料を調べてみると、やはりそれも日本の資料が多かった。それでそのたくさんある日本の資料を読みたくても、その当時の私は、日本語のひらがなさえ知らなかった。その時、自分の国の資料の少なさを残念に思うと同時に、日本へ行きより多くの資料がある環境で勉強したいという思いが生まれ、日本留学を決心した。それで、大学卒業後、すぐに日本へ来たのだ。

日本で勉強を初めてからもう6カ月が過ぎた。日本語については、ひらがなだけを学んだばかりの状態で来日し、最初はなかなかなれず、日本人の話す言葉も全然わからないため怖くて緊張の中で毎日を過ごしていた。しかし、今はだんだんと慣れ日本語も分かるようになってきた。日本で生活をしている自分を思うと、生き生きとしているように感じる。それはきっと、私には、はっきりとした目標があるからではないかと思う。この目標が私に日本語学習への大きな力を与えてくれるのだ。

 

●謝 長恩さん(YMCA東京日本語学校・台湾)

私は日本人の打楽器作品に興味を持っています。大学生から打楽器を選考して、日本人の作品にふれるようになり、だんだんそれに強く興味を持つようになりました。台湾人の打楽器奏者が日本に滞在して、その現代音学を研究した人はまだいないということから、日本を留学先に選びました。日本の音楽をもっと深く理解するために、日本でいろいろな伝統、社会精神などに直接触れながら、日本人の音楽をもっと理解し、独自性を持った研究をしていくことができれば良いとおもっています。

台湾人の打楽器の教育環境を見ると、日本の影響を様々な形で受けています。コンサートにおいて日本人の打楽器作品はよく演奏されますが、台湾人が留学を考えた場合、主にヨーロッパやアメリカなどに行くので、いままで打楽器選考で日本に留学した人はほとんどいません。しかし、台湾でも日本人の作品はよく演奏されていますが、本当に日本人の作品をきちんと理解し、良い演奏解釈ができているだろうかという疑問があり、日本語を学びたい、日本に関わる事情、文学、芸術などを知りたいという意欲が沸いてきました。

私が日本に滞在し、生活してみなければ、日本の芸術文化や伝統、及び現代音楽などを深く理解するのは難しいと思います。ですから、この打楽器が盛んな国に進学して、もっと自分を磨き、日本語を勉強し、将来台湾に、珍しい日本の音楽やアジア系作曲家の現代音楽作品を紹介する専門家になって、台湾と日本の現代音楽交流のための架け橋になるのを目指していきたいと考えています。